「むまくら」それとも「むまくわ」?-ハ函239号の読み方について

ある府県のある資料館にて……

弟:いろんなものがたくさんあるね。
兄:なんか古そうだな。こんなの見ても学校の勉強にならないよ。
父:そう言わずに。せっかく来たんだから。
弟:これって農家の人が使う道具だね。テレビで見たことあるよ。
兄:昔のものだよ。「鍬(くわ)」って説明書きがあるだろう。
父:鍬は弥生時代から使われている道具だよ。今でも形も変わらずに使われているんだ。すごいな。
弟:これはどう使うの。「鋤(すき)」って書いてあるけど。
兄:「くわ」も「すき」も一緒だよ。「耕す道具」って書いてあるじゃない。
父:おいおい、よく見ろよ。柄と刃との角度が違うだろう。ということは、使い方も違うってことだ。
隣りの客:鍬や鋤なんか置いておかないで、綺麗なものを並べればいいのに…。

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「ん」という平仮名はもともと無かった!

私たちは子供の頃から「ん」は平仮名として認識していました。ですが、古い時代の日本では漢字仮名交じり文は公式の場では使わない日本語表記だったんです。そのため、平安時代前半に平仮名が成立しても600文字くらいの仮名が使われていました。

しかし、そこには「ん」という文字はあっても、今のような発音はしていませんでした。時代は仮名が発明された時代よりも下がり、室町時代の「東寺百合文書」の中に「たまかき書状」という文書があります。

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“交通費”をめぐる攻防―経費削減か安全第一か―

勤務先まで電車で通えば15分。てっきりそれで交通費が支給されると思っていたら、40分かかるがバスの方が安かったため、バス代が交通費として支給されることになったとしたらどう思うでしょうか。経費削減という観点からみれば「当然だ」と思うかもしれませんが、一方で、電車であれば「もう少し寝られるのに…」と思う人は少なくないでしょう。経費削減がかまびすしく言われる昨今、よくある話です。

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水濡れ厳禁!

ひとが生きていくために欠かせないもの、と言えばなんでしょう?水、空気、自然、愛…?いろいろありますが、そのひとつが「塩」。塩は、生きていくために必要なものであると同時に、けがれを浄める力を持つ神聖なものとして、古代より祭祀などにも多く用いられてきました。今では簡単に手に入る塩ですが、昔は決して、いつでもどこでも手に入るものではありませんでした。とくに海から離れた都、京都では、とても貴重なものだったのです。

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おいしい海の幸を送ります

日本人の主食であるお米。なにはなくとも、白いご飯さえあれば…というかたも多いでしょう。今のように、誰もが気軽に口にできたわけではありませんが、昔からお米は日本の食卓に欠かせないものでした。「年貢」として納められたのも、多くはやはりお米です。たくさんの米俵が運ばれる絵、歴史の教科書などで目にしたこともおありではないでしょうか。

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道路が畑に…!? その2

整備された「碁盤の目」の都として有名な平安京。しかし、実はそのあちこちで、道路がいつのまにか田や畑にされる、なんてことがしばしば起こっていました。前回の「道路が畑に…!? その1」では、東寺の少し北、東西にのびる八条通と大宮通が交わるあたりでも、道路が耕され、どんどん巷所が広がってきた様子をご紹介しました。

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道路が畑に…!? その1

道路がいつのまにか畑や田んぼになっていた…!?しかも都会のまん中で!今の日本ではちょっとありえないことですが、中世の都、平安京では、そんなびっくりするようなことが、しばしば起こっていました。最近流行の、ビルの屋上に庭園や菜園をつくる屋上緑化のようなものでしょうか?いいえ、それとはちょっと違います。

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矢野荘を歩く その3(終)―信仰の拠点「大避(おおさけ)神社」―

同じ地域に住む人々が、その地を守護する神様や仏様を祀り、ときには神社やお寺に集ってお祭りに興じる姿は、日本各地でよく目にする伝統的な風景とひとつといえるでしょう。 矢野荘も例外ではなく、今でも集落や地域ごとに氏神を祀っています。なかでも、現在の矢野川と小河(おうご)川との合流点の西南にある「大避神社」 (Googleマップ) は、矢野荘全体を守護する荘鎮守として人々の信仰を集めてきました。

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矢野荘を歩く その2―現地支配の拠点を探せ―

同じ近畿地方にあるといっても、東寺のある京都と、矢野荘のある兵庫県相生(あいおい)市は離れています。都に居ながら地方の荘園を支配するためには、現地に事務・運営の拠点を設ける必要がありました。その施設を政所(まんどころ)といいます。東寺からすると、政所は荘園支配の心臓部だったわけです。では、その政所はどこにあったのでしょうか。

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矢野荘を歩く その1―東寺はどこを支配していたのか―

来て、見て、体感して、ようやく実感がわくものってありますよね。荘園も同じです。東寺百合文書のなかには多くの荘園関係文書が残っていますが、文書の文面を読むだけではなかなか実感がわきません。現地を訪ね、くまなく歩き、その地に広がる風景を目に焼きつけることも大切なのです。そこで、今回から3話連続で、播磨国(現在の兵庫県の南西部)矢野荘の探訪の様子をお届けします。

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こわいこわい星の話 その2

わたしたちは今も、星占いをしたり、流れ星に願い事をしたり…しばしば夜空の星に思いを馳せます。しかし、中世の人びとにとって、星の動きは今よりもずっと重要なことでした。流星群や彗星など、いつもと違う星の動きは、大きな天変、なにか悪いことが起こるまえぶれではないかと恐れられ、ときには大騒ぎにまで発展したのです。

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垂水荘差図に描かれた船

「描かれたものは・・・?」のその1その2で取り上げた「摂津国垂水荘差図」を、資料館の企画展「高瀬川開削400年記念~高瀬川と京都の水運」で展示しました。京都の水運の展示に、淀川支流の神崎川の資料を並べることに疑問を持たれる方もあるかもしれませんが、川は繋がっているということでご理解ください。さて、その準備過程で、差図に描かれている船が、どのような船であるか、展示の担当者のなかで議論が分かれました。

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松茸食べたい!

「聖(ひじり)の好むもの、比良の山をこそ尋ぬなれ、弟子遣りて、松茸平茸滑薄(なめすすき)、さては池に宿る蓮の蔤(はい)、根芹(ねぜり)根蓴菜(ねぬなは)、牛蒡(ごんばう)河骨(かわほね)獨活(うど)蕨(わらび)土筆(つくつくし)…」(『梁塵秘抄』巻第二)

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買い物上手?荏胡麻(えごま)油の購入

運命を左右する大事な試合や局面を「天王山」と表現することがあります。天王山は京都府の南部、大山崎町にある山のことです。羽柴秀吉と明智光秀とが山崎で戦ったときに、両軍はこの山をめぐって争い、秀吉がその争奪戦を制しました。このことが勝敗を左右したため、勝負の分かれ目を「天王山」というようになりました。

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薄墨(うすずみ)の綸旨(りんじ)

突然ですが、古文書の醍醐味といえば何でしょう?ミミズのようなくずし字を読み解くこと。有名な人物の筆跡や筆の流れを堪能すること。答えはさまざまですが、「どのような紙が使われているか」も興味深い点のひとつではないでしょうか。そこで今回は、「紙」に注目しながら古文書を眺めてみましょう。

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