足利将軍自筆の文書

東寺百合文書には歴代足利将軍の文書が数多く残っています。本来文書を書くのは右筆(ゆうひつ)の仕事で、将軍自ら筆をとることはまれでした。今回はその将軍自筆の文書についてお話しましょう。

歴代足利将軍が出した文書のひとつに「御内書(ごないしょ)」というものがあります。御内書とは私信のために用いる書状に近い形式の文書です。差出人が将軍ということもあり、公の文書として扱われるようになりました。東寺百合文書(※観智院含む)には以下の3通の足利将軍の御内書が残っています。

せ函足利将軍家下文1号 足利尊氏御内書
せ函足利将軍家下文1号「足利尊氏御内書」暦応2(1339)年10月27日
観智院7号 足利義詮自筆御内書
観智院7号「足利義詮自筆御内書」観応元(1350)年11月18日
ホ函76号 足利義持自筆御内書
ホ函76号「足利義持自筆御内書」(応永20(1413)年)5月13日

文書名をみると、2通目・3通目には自筆とありますが、1通目には自筆の文字が見えません。つまり、1通目は右筆が、2通目は尊氏の子どもで2代将軍を務めた義詮(よしあきら)が、3通目は義満の子どもで4代将軍となった義持が、それぞれ筆をとり文書を書いたというわけです。では、どうして2通目・3通目は将軍の自筆とわかるのでしょうか。

筆跡を調べればおのずと答えが出ますが、今回はどのような紙が使われているかに注目してみましょう。というのも、差出人・宛先・内容によって文書の紙は使い分けられていたからです。さらに、天皇・上皇・足利将軍といった高貴な人物の自筆文書には最高級の紙が使われていて、このような紙は他の紙にはない特徴をもっていました。原料には良質の楮(こうぞ)を用いていること、丹念に漉いたのでむらがないこと、虫食いの原因となる不純物もほとんど含んでおらず、表面がすべすべして光沢があり、墨ののりがよく文字がかすれにくいことなどです。

では、改めて3通の文書を見直してみましょう。確かに、1通目にくらべると、2通目・3通目は墨ののりがよく、文字のかすれが見えません。加えて、虫食いのあともわずかに見えるぐらいです。おそらく、虫がつきにくい紙なのでしょう。画像では紙の質感まではわかりにくいかもしれませんが、高貴な人物が筆をとるときに使う紙といえそうです。

(鍜治:歴史資料課)