運命を左右する大事な試合や局面を「天王山」と表現することがあります。天王山は京都府の南部、大山崎町にある山のことです。羽柴秀吉と明智光秀とが山崎で戦ったときに、両軍はこの山をめぐって争い、秀吉がその争奪戦を制しました。このことが勝敗を左右したため、勝負の分かれ目を「天王山」というようになりました。
その天王山がそびえる大山崎は荏胡麻油の製産が盛んでした。その起源は平安時代にまでさかのぼるといわれています。天王山のふもとにある離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)の周辺で活動していた油商人たちは、やがて同業者組合である座を結成します。大山崎油座は対岸にある本社の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に奉仕し、神事祭礼を勤める見返りに、原料の仕入れ・製造・販売の独占権を獲得するに至りました。
その特産の油ですが、明かりをともすために使われていました。石清水八幡宮に納められたほか、大山崎や京都などで売買されていたようです。東寺百合文書からその様子をうかがい知ることができます。
朱で書かれた文字に注目してください。「是ハ山崎和市分、京都代八貫百文、相違分一貫二百五十三文」とあります。和市は売買価格のことで、京都で油を購入した場合、8貫100文かかかるが、直接山崎まで買いに出かけたところ、1貫253文安かったと記されています。おそらく大山崎から京都への運送費が価格に上乗せされていたか、もしくは京都の物価に合わせ価格が上がっていたのでしょう。この文書が書かれた室町時代では、1貫文は10~15万円に相当します。なかなかのやりくり上手といえるのではないでしょうか。
同じように、安上がりに済ませるために、京都では購入せず大山崎まで買いに出かけた記事はいくつか残っています。上の文書の後ろから数えて9行目のところをご覧ください。「山崎ニテ買分、夫チン加定」とあります。夫チン=夫賃(ぶちん)とは人夫(にんぷ)に支払われる賃金のことで、大山崎で油を購入した場合、東寺まで運送するための人手が必要でした。その他にも、文書のいたるところに「理順(利潤のこと)」という言葉が見えることから、いかに経費を削減するか、知恵をしぼる人々の様子が想像できます。現代と通ずるところがあって興味深いですね。
※天王山・離宮八幡宮・石清水八幡宮の場所はこちら(Googleマップ)。
(鍜治:歴史資料課)