ある府県のある資料館にて……
弟:いろんなものがたくさんあるね。
兄:なんか古そうだな。こんなの見ても学校の勉強にならないよ。
父:そう言わずに。せっかく来たんだから。
弟:これって農家の人が使う道具だね。テレビで見たことあるよ。
兄:昔のものだよ。「鍬(くわ)」って説明書きがあるだろう。
父:鍬は弥生時代から使われている道具だよ。今でも形も変わらずに使われているんだ。すごいな。
弟:これはどう使うの。「鋤(すき)」って書いてあるけど。
兄:「くわ」も「すき」も一緒だよ。「耕す道具」って書いてあるじゃない。
父:おいおい、よく見ろよ。柄と刃との角度が違うだろう。ということは、使い方も違うってことだ。
隣りの客:鍬や鋤なんか置いておかないで、綺麗なものを並べればいいのに…。
田植えの写真を見ると……
A: 昔はみんな手で植えていたんだね。
B:たいへんだね。腰痛そう。
職員: よく見てください。今とは苗の大きさも違うんですよ。
A:どう違うの。
B:今の方が小さいのかな。
A:隣の田んぼには馬がいる。
B:馬って田んぼに入るんだ。耕しているのか?
職員:馬鍬(まぐわ)を使って代掻きをしているところです。犂(からすき)により掘り起こした土を細かくし、田植えができるように均しています。こうして田植えのできる田んぼが仕上がります。
虫食いの文字
弟:牛って書いてあるよ。
兄:三疋(ひき)だ。食べていたのかな。
弟:紙に穴が開いているところがある。
兄:虫が食った跡だよ。
弟:何時の虫?。むかーし、それとも最近?。
兄:分からないよ。室町時代かな?。昭和になってからかな?
弟:あそこは、「む」と「く」は読めるけど、あとは読めないや。
兄:「むまくら」と書いてあると、説明書きにあるだろう。
弟:虫が食ってるのに、どうして読めるの?。
兄:……。
兄弟が見ていたのは、東寺百合文書のハ函239号、若狭国太良荘百姓泉大夫財物注文です。
泉大夫が家の中に持っていた財物が書き上げられています。兄弟が話題にした個所は、一つ書きの10行目です。確かに虫損個所で読めません。それでは、説明書きはどのようにして作られたのでしょうか?
ハ函239号については既に翻刻文が活字化されています(注1)。一般に展覧会ではこれまでの調査・研究成果が利用されます。それが理由のようですが、翻刻文が作られた時には、虫食いがなかったのでしょうか?。東寺百合文書WEBが作られたのは2013年ですが(注2)、それ以前の状態を知るには、1980~1982年度にマイクロフィルムで撮影された写真帳があります(注3)。それを見てみましょう。
やはり虫損のようです。
それでは、なぜ「むまくら」と読めるのでしょうか。
「からすき」があるので「むまくわ」なのかも……
ハ函239号は東京大学史料編纂所の影写本にはなく、百合文書が資料館に移管後に存在が明らかになった新史料です(注4)。しかし、江戸時代中期に奥州白川藩の松平定信が百合文書を調査して写し取った白河本東寺百合文書には、この文書が含まれています。そこでは、この部分を「□□□まくら」と読んでいたように見えます(→外部リンク)(注5)。
1992年、総合資料館で開催された第9回東寺百合文書展では、この資料の釈文として「一からすき一かう むまくら一かう」としていました(注6)。翻刻文の活字化はそのような成果も参考にしながら、職員が力を合わせて作成しています。その結果、「むまくら(馬鞍)」が妥当とされたようです。
鍬や鋤などの農耕具の研究家である河野通明さんは、1992年の展示を見て、この部分が虫損で読めないことを確認したうえで、「むまくら(馬鞍)」と読むか、「むまくわ(馬鍬)」と読むかを推論し、一つ書きの10行目は「一 からすき一から(柄) むまく□(わカ)一から」ではないかと推定しています(注7)。
馬鞍か馬鍬か。犂との関連で読むと、「むまくわ」の可能性が大きいように思われますが、皆さんはいかが読まれますか。
注
(1)『東寺百合文書 五』、京都府立総合資料館編、思文閣出版、2007年
(2)歴史資料課「<業務報告>東寺百合文書のデジタル化とウェブ公開について」、『資料館紀要』第43号、京都府立総合資料館、2015年
(3)歴史資料課「<業務報告>東寺百合文書の保存・公開・撮影について」、『資料館紀要』第12号、京都府立総合資料館、1984年。写真帳は総合資料館文書閲覧室に開架。
(4)『東寺百合文書目録 第一』、京都府立総合資料館編、1976年。上島有「東寺百合文書の伝来と現状について」、『資料館紀要』第8号、京都府立総合資料館、1980年(後に同氏『東寺・東寺文書の研究』、思文閣出版、1998年に所集)
(5)白河本東寺百合文書140。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2551126?tocOpened=1
この資料を使った研究に、黒田日出男「中世農業技術の様相」(『講座日本技術の社会史』第一巻、1983年、日本評論社。後に同氏『日本中世開発史の研究』、校倉書房、1984年に所集)があり、そこでは布・衣類の「まくら」と解している。
(6)『第9回東寺百合文書展 中世農民の生活』、京都府立総合資料館、1992年
(7)河野通明『日本農耕具史の基礎的研究』、和泉書院、1994年
(大塚 活美:京都府立総合資料館 歴史資料課)