水濡れ厳禁!

ひとが生きていくために欠かせないもの、と言えばなんでしょう?水、空気、自然、愛…?いろいろありますが、そのひとつが「塩」。塩は、生きていくために必要なものであると同時に、けがれを浄める力を持つ神聖なものとして、古代より祭祀などにも多く用いられてきました。今では簡単に手に入る塩ですが、昔は決して、いつでもどこでも手に入るものではありませんでした。とくに海から離れた都、京都では、とても貴重なものだったのです。

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おいしい海の幸を送ります

日本人の主食であるお米。なにはなくとも、白いご飯さえあれば…というかたも多いでしょう。今のように、誰もが気軽に口にできたわけではありませんが、昔からお米は日本の食卓に欠かせないものでした。「年貢」として納められたのも、多くはやはりお米です。たくさんの米俵が運ばれる絵、歴史の教科書などで目にしたこともおありではないでしょうか。

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道路が畑に…!? その2

整備された「碁盤の目」の都として有名な平安京。しかし、実はそのあちこちで、道路がいつのまにか田や畑にされる、なんてことがしばしば起こっていました。前回の「道路が畑に…!? その1」では、東寺の少し北、東西にのびる八条通と大宮通が交わるあたりでも、道路が耕され、どんどん巷所が広がってきた様子をご紹介しました。

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道路が畑に…!? その1

道路がいつのまにか畑や田んぼになっていた…!?しかも都会のまん中で!今の日本ではちょっとありえないことですが、中世の都、平安京では、そんなびっくりするようなことが、しばしば起こっていました。最近流行の、ビルの屋上に庭園や菜園をつくる屋上緑化のようなものでしょうか?いいえ、それとはちょっと違います。

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矢野荘を歩く その3(終)―信仰の拠点「大避(おおさけ)神社」―

同じ地域に住む人々が、その地を守護する神様や仏様を祀り、ときには神社やお寺に集ってお祭りに興じる姿は、日本各地でよく目にする伝統的な風景とひとつといえるでしょう。 矢野荘も例外ではなく、今でも集落や地域ごとに氏神を祀っています。なかでも、現在の矢野川と小河(おうご)川との合流点の西南にある「大避神社」 (Googleマップ) は、矢野荘全体を守護する荘鎮守として人々の信仰を集めてきました。

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矢野荘を歩く その2―現地支配の拠点を探せ―

同じ近畿地方にあるといっても、東寺のある京都と、矢野荘のある兵庫県相生(あいおい)市は離れています。都に居ながら地方の荘園を支配するためには、現地に事務・運営の拠点を設ける必要がありました。その施設を政所(まんどころ)といいます。東寺からすると、政所は荘園支配の心臓部だったわけです。では、その政所はどこにあったのでしょうか。

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矢野荘を歩く その1―東寺はどこを支配していたのか―

来て、見て、体感して、ようやく実感がわくものってありますよね。荘園も同じです。東寺百合文書のなかには多くの荘園関係文書が残っていますが、文書の文面を読むだけではなかなか実感がわきません。現地を訪ね、くまなく歩き、その地に広がる風景を目に焼きつけることも大切なのです。そこで、今回から3話連続で、播磨国(現在の兵庫県の南西部)矢野荘の探訪の様子をお届けします。

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こわいこわい星の話 その2

わたしたちは今も、星占いをしたり、流れ星に願い事をしたり…しばしば夜空の星に思いを馳せます。しかし、中世の人びとにとって、星の動きは今よりもずっと重要なことでした。流星群や彗星など、いつもと違う星の動きは、大きな天変、なにか悪いことが起こるまえぶれではないかと恐れられ、ときには大騒ぎにまで発展したのです。

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垂水荘差図に描かれた船

「描かれたものは・・・?」のその1その2で取り上げた「摂津国垂水荘差図」を、資料館の企画展「高瀬川開削400年記念~高瀬川と京都の水運」で展示しました。京都の水運の展示に、淀川支流の神崎川の資料を並べることに疑問を持たれる方もあるかもしれませんが、川は繋がっているということでご理解ください。さて、その準備過程で、差図に描かれている船が、どのような船であるか、展示の担当者のなかで議論が分かれました。

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松茸食べたい!

「聖(ひじり)の好むもの、比良の山をこそ尋ぬなれ、弟子遣りて、松茸平茸滑薄(なめすすき)、さては池に宿る蓮の蔤(はい)、根芹(ねぜり)根蓴菜(ねぬなは)、牛蒡(ごんばう)河骨(かわほね)獨活(うど)蕨(わらび)土筆(つくつくし)…」(『梁塵秘抄』巻第二)

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買い物上手?荏胡麻(えごま)油の購入

運命を左右する大事な試合や局面を「天王山」と表現することがあります。天王山は京都府の南部、大山崎町にある山のことです。羽柴秀吉と明智光秀とが山崎で戦ったときに、両軍はこの山をめぐって争い、秀吉がその争奪戦を制しました。このことが勝敗を左右したため、勝負の分かれ目を「天王山」というようになりました。

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薄墨(うすずみ)の綸旨(りんじ)

突然ですが、古文書の醍醐味といえば何でしょう?ミミズのようなくずし字を読み解くこと。有名な人物の筆跡や筆の流れを堪能すること。答えはさまざまですが、「どのような紙が使われているか」も興味深い点のひとつではないでしょうか。そこで今回は、「紙」に注目しながら古文書を眺めてみましょう。

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描かれたものは・・・? その2

東寺百合文書に残る差図(さしず)。そのなかに、「摂津国垂水荘差図(せっつのくにたるみのしょうさしず)」という荘園の絵図があります。今の大阪府吹田市あたりにあった荘園、垂水荘一帯の川や田畑の様子を描いたものなのですが、よーく見ると、図の上部、東西に流れる三国川(今の神崎川)に浮かぶ二つの島の間に、なにか描かれています。

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描かれたものは・・・? その1

東寺百合文書のなかには、「差図(さしず)」と名づけられた文書がいくつか残っています。「差図」…聞き慣れないことばですが、いったいなんのことでしょうか?たとえばこの図、「摂津国垂水荘差図(せっつのくにたるみのしょうさしず)」と呼ばれています。なにかの地図のようにみえますが・・・少しじっくり見てみましょう。

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仕事のあとに、ちょっと一服

暑い夏の一日、力仕事の後には、ゆっくり一服したいものです。お酒を好む上戸と、好まない下戸。お茶がよいか、お酒がよいか…。その論争は、今から1000年以上前、唐の時代の中国で、すでに話の種になっていました。お茶もお酒も、そのころのものは、今のものとは少し違ったようです。しかし、その味もさることながら、薬効も高く、心身ともによく効くものとして、どちらも人びとに好まれてきました。

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絵図に広がる世界

一口に“文書”といっても文字ばかりではありません。今回は絵図の世界をひもといてみましょう。伊予国弓削島荘(いよのくにゆげしまのしょう)は製塩が盛んで、“塩の荘園”として広く知られてきました。場所は広島県と愛媛県にまたがる芸予諸島(げいよしょとう)の東端、現在の愛媛県越智郡上島町(おちぐんかみじまちょう)の「弓削島」と「百貫島(ひゃっかんじま)」にあたります(Googleマップ)。

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大変だった?茶店のはじまり その2

参詣人でにぎわう東寺南大門前で営業を始めた茶売り人たち。しかし、ときどき思いがけないトラブルが…。茶売り人の火鉢が原因で火災が発生し、彼らは東寺周辺から追い払われることになってしまいました。はたして、どうなってしまうのでしょうか…?

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大変だった?茶店のはじまり その1

大きなお寺や神社の参道には、今も多くの茶店やお土産店が軒を連ねています。こういったお店で門前がにぎわい始めたのは、室町時代のことでした。と言っても、この頃にはまだ店舗を構えたお店はあまりありません。ではいったい、当時の茶店はどんなふうなものだったのでしょうか?

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