この文書はある日の鎮守八幡宮方の評定を記録したもので、年行事(ここでは年預とよばれています)は、組織の主要メンバーである現職の供僧の中から選挙によって選ぶ、ということが決められていました。
百合文書のなかには年行事選挙での投票そのものもあります。上の廿一口方の文書には、明応5(1496)年の年行事である融寿もふくめ、翌年の年行事候補が書き上げられています。組織のメンバー全員が候補となるわけではなくて、20歳未満の若年僧には資格がなく、また一定の年齢を越えた老僧はその役目を免除されていました。さらに籠衆(こもりしゅう)として学問研鑽に励む立場にあった僧侶も奉行候補から外されていました。
上の方の画像では、名前の左右に斜めの線が見えます。この線を合点(がてん)といい、その人への投票を意味しています。このときの投票では、もっとも多くの合点のついた宝輪院宗承が次年度の年行事に決まりました。
上の文書はその融寿から宗承へ引き継ぎををおこなったときのもので、仕事に必要な文書を納めた手文箱等を渡す際に添えられた文書です。「廿一口方手文箱」14合のほか、「宝荘厳院方」として3合が渡されています。これは廿一口方の年行事が、宝荘厳院方という別の組織の年行事を兼ねる決まりがあったためです。廿一口方の年行事は、他の組織の年行事よりも格が上とされていて、惣年預(そうねんよ)ともよばれました。
なお、廿一口方の年行事は12月末で任期を終えますが、久世方(鎮守方)では6月末で年行事の任期が終わるので送進状は6月末に出され、7月から新しい年度、新しい奉行になります。