東寺の中にいくつもある供僧の組織それぞれには年行事(奉行、年預ともいいます)という役目の人がいました。年行事は組織の主要メンバーである供僧の中から選ばれ、任期の一年間、組織を運営する責任を負います。
上は応永11(1404)年に廿一口方の年行事となった清浄光院堅済が私用のために残した記録です。東寺で行われる年中行事と、行事の費用がどの荘園によって賄われるかといったことが細かく書き記されており、仏事の次第についての記述も見えます。年行事として仕事をすすめるためには、組織全体のさまざまな点を知っておく必要があったのでしょう。
を函88号文書は鎮守方の年行事が管理した手文箱「杉箱」の中身を書き上げたものです。評定引付(会議の議事録)22帖をはじめ、田地名寄帳(年貢を収納するときに必要な帳簿)7通1帖、散用状(収入・支出を計算した帳簿)9通などが見えます。年行事の職務の中心は、会議の運営や所領経営にありました。
なお、鎌倉時代末の一時期には、月行事とよばれる人々がいたことが知られています。名前からすると月ごとに選ばれていたようです。月行事が書いた日記・評定引付も百合文書の中に現存しています。