これは、一旦は捨てようとしたものの、やはり残しておくことにした文書のリストです。一年の間に組織の内で作成される文書、外からやってくる文書をあわせるとたくさんの数になります。それらは全部とっておくわけではなく、のこすものもあれば捨てるものもあります。そのより分けをすることは奉行の仕事の一つでした。上の文書では廿一口方の奉行宗寿がそのより分けをしています。今に伝わっている文書は、実はこのような選択をくぐり抜けて生き残っていたのです。
ム函77号文書は、目録の3行目に見える「鳥養方」の文書の一つで、東寺が借りていた銭23貫文を返済した後、貸主から返却された借用書です。墨で打ち消しているのは、この文書はもはや無効であることの表現です。目録にある文書の多くはこのような借用書や礼状ですが、すこし変わったものもありました。
寺外に追放された僧侶敬観が境内や西院付近をうろついていることについて、その父である英玄らが提出した謝罪の文書で、目録の8番目、「英玄・証玄両人敬観カ事ニ付テ請文」にあたります。
ケ函206号の目録に記載された計24通のうち、17通が現存しています。もし500年前に宗寿さんがのこしておこうという判断をしていなかったら、いま私たちはそれらの文書を目にすることはできないわけで、ちょっとした判断の大きな影響に驚きます。