文書を出し入れするときには

御影堂(みえどう)の西院文庫に納められた文書は、先例を調べるため、裁判で証拠として提出するためなど、使う必要があって持ち出されることがあります。文書を持ち出そうとする人は「西院文書出納帳」という帳簿に名前を書く必要がありました。これを見ると500年以上も前に誰がどんな文書を持ち出したかということがわかります。

さ函113号 文書出納日記
さ函113号「文書出納日記」(長禄3(1459)年12月6日部分)

文書の持ち出し、返却は必ず2人で行い、そのうちの1人は持ち出しと返却との両方に名前を書いています。たとえば、上の出納日記によると、長禄3(1459)年12月6日に、「御判物四通」が尭忠と宗寿によって「廿一口第一箱」から取り出され、翌年3月2日、仁然と宗寿によって返納されています。文書を取り出したときには尭忠は廿一口方で奉行をつとめており、宗寿も供僧の一人でした。

ケ函165号 廿一口方出文書目録
ケ函165号「廿一口方出文書目録」長禄3(1459)年10月5日

長い間未返却のままになっているものをリストアップし、返却の催促に当たることもあります。上の文書は長禄3(1459)年に作成された未返却文書のチェックリストです。多くの場合、文書は10日前後で返却されており、長いものでも持ち出し期間は1ヵ月程度ですが、文安6(1449)年から10年以上も持ち出されたまま、というものもあります。訴訟の証拠書類として裁判所に提出した後、ずいぶんたっても戻ってこない、というケースがあったようです。

出納帳を使ったチェックのシステムは15世紀の初めごろにできたらしく、それ以前は注文というリストを作成し、取り出した文書が納められていた文書箱に入れておくという方法が取られていました。下の文書はその注文の一例です。

を函76号 鎮守八幡宮供僧年預良秀文書出納日記案
を函76号「鎮守八幡宮供僧年預良秀文書出納日記案」応永16(1409)年2月27日