蓋裏銘に同じもの無し

再読!92歳上島有(うえじまたもつ)さんの東寺百合秘話 (12),「京都新聞」2016年10月28日付26面記事を転載

東寺百合文書といいますと、まず注目されるのは、松雲公寄進の「百合」の桐箱だと思います。それだけではなく蓋裏銘も重要です。

東寺百合文書「い函」蓋裏銘(京都府立総合資料館蔵)
東寺百合文書「イ函」蓋裏銘(京都府立総合資料館蔵)

この蓋裏銘は、写真の「い函」のように、詳しく松雲公寄進の由来を記しています。まず、それを現代語訳しますと「賀州太守従四位下左近衛権中将菅原綱紀朝臣(松雲公前田綱紀のこと)が使いを立てて、
当寺秘蔵の文書の書写を願い出た。東寺はその志に感じて許可した。書写が完成したとき、松雲公は百の書箱を寄進したので、文書類を納めることにした。その由来を箱の蓋に記して後世に残すことにする」となります。

このように詳しい内容のものが10箱で、それ以外は写真の「イ函」のように簡単にしたものになっています。

もう50年も前の話になりますが、私が百合文書の整理をしている時に、大変面白いというか、重要なことに気付きました。「い函」のように詳しい記載の10箱は言わずもがな、この「イ函」のようなわずか30字足らずの簡単な記載のものでも、
必ずどこか1字は違っていて、一箱として同じ文章の銘はありません。簡単な銘の「イロハホヘ」5箱(ニ函は詳しい銘)の「寄進せらるる所なり」の6字をとってみますと、

所被寄晋焉也(イ函)
所見寄進之也(ロ函)
所被寄進之也(ハ函)
所見寄晋之也(ホ函)
所被寄進之也(ヘ函)
となっています。

この部分だけをとってみますと、「ハ函」と「ヘ函」は同じですが、それ以外は、それぞれ1字は必ずちがっています。そこで、「ハ函」と「ヘ函」の年月日をみますと
貞享二年………(ハ函)
貞享二乙丑年…(ヘ函)
となっていて、やはり「ハ函」と「ヘ函」の書き方が違っています。このように簡単な銘だけではなく、詳しい銘の箱も含めて、百合の箱全部、一箱として同じ文章のものはありません。
必ず、どこか1字は違うように工夫をして、変化を持たせていることが分かります。よほど注意をしないと分からないことですが、素晴らしい心遣いといえます。

松雲公による「百合」の寄進は、他の例をみない快挙でありました。それに応じた東寺側の素晴らしい対応が、この蓋裏銘かと思います。百箱全部に寄進の経緯を記して、その功をたたえています。
それだけではなく、一箱として同じ文章のものはないというように心憎いまでの配慮をしています。これもまた他に例をみない素晴らしい心遣いといえます。

松雲公の寄進、それを受けての東寺の対応、両々相まって百合文書は、わが国最高の古文書の一つとしてその価値をいやが上にも高めていると思います。


東寺百合文書から 1517(永正14)年2月10日 寺内落書

オ函201号-5「寺内落書落書」永正14(1517)年2月10日

これまでは上皇や足利将軍の折り目正しい文書を何通か見てきましたが、今回は中世の庶民の赤裸々な心情を訴えた文書を紹介してみようと思います。

ここで落書というのは「らくがき」ではありません。「らくしょ」と読んで、中世の人々が何か訴えるために、人目につきやすい所に落としておいた無記名の投書ともいうべきものです。
これは1517(永正14)年2月に、東寺の山内に張り出されたものと思われます。

拙い文字で「宝泉院主、進退につけて、いろいろ落書を立て申すところに……」と記しています。宝泉院というのは東寺の子院の一つです。その院主に不届きなことがあったので処罰してほしいと、いろいろと落書しているのに一向に取り上げてくれない。
いつまでも放置しておくなら、御所の御門に落書を張るぞ、と言っています。御所の御門は恐らく幕府のことではないかと思います。

本当にたどたどしい筆遣いで、やむにやまれず自分の気持ちを訴えたということがよく分かります。中世の一般的な紙より一回り・二回り小さく、紙質も非常に粗末なものです。
今では裏打ちがされていて、つんとすましていますが、初めてこの文書を手にしたときは、ぐにゃぐにゃに丸め込んであって、いかにも庶民の落書きという感じでした。

このような落書は百合文書に14通も残っていて、他の文書群にみられない中世の庶民生活の一端を知る貴重な史料となっています。
この文書は1887(明治20)年の百合百話の大規模な調査では、史料的価値なしということで廃棄されるところでした。
幸い松雲公寄進の百合の箱に納められていたおかげで廃棄は免れ、箱の一番底に固めて「放置」されていました。そして1967(昭和42)年から京都府立総合資料館の調査で、一躍脚光を浴びるという数奇な運命をたどりました。
興味のある方は、頑張って全文読んで見てください。京都府立総合資料館の東寺百合文書WEBには訳文も付されています。
                       (聞き手・芦田恭彦)