東寺五重塔の北東にひっそり佇む東大門。「不開門」とも呼ばれますが、その名が示すように、特別な場合を除き、その門の扉が開かれることはありません。その由来をご存知ですか?
建武3(1336)年6月、一度は後醍醐天皇に敗れるも再度上洛を果たした足利尊氏は、本陣を東寺に据えました。新田義貞らとの洛中合戦において窮地に陥った尊氏は、東大門の扉を固く閉ざすことでその難を逃れたといわれています。現在もその矢傷の跡と思われる小穴が残っています。
それからというもの、この門は「不開門」と呼ばれるようになりました。今でも災害や修理を除き、その扉は固く閉ざされたままとなっています。
この合戦にまつわるもうひとつの逸話が東寺に残っています。
文書右端上に見える「率土神明…」から数えて12行目「就中頃年以来…」以降に、先ほど述べた洛中合戦の一幕を垣間見ることができます。なんと「東寺鎮守八幡宮」の明神が矢を放ち、義貞らを退け、尊氏を助けたというのです。戦勝祈願の社として名高い「東寺鎮守八幡宮」らしいエピソードといえるでしょう。
「東寺鎮守八幡宮」の加護により窮地をしのいだ尊氏。このたびの合戦で後醍醐天皇側近の名和長年(なわながとし)は敗死したものの、まだまだ激戦の最中にありました。彼の次なる一手とは。それは次回のお楽しみ。
(鍜治:歴史資料課)