新見荘を歩く その3―祐清ゆかりの地―

室町時代になると、東寺による備中国新見荘(現・岡山県新見市)の支配は行き詰まりを見せます。そこで東寺は、現地の武士や守護の家臣を代官に据えることで対処しようとしました。ところが以前にご紹介したように、その代官が横暴を繰り返したため、耐えかねた百姓は一致団結し、寛正2(1461)年に代官を新見荘から追い出してしまいました。

その翌年に、新見荘である男女が運命的な出会いを果たします。男性の名前は「祐清」。代官追放の知らせを受けて、新代官として新見荘の支配を立て直すために東寺から赴任してきた僧侶です。そして、女性の名前は「たまかき」。現地で勢力をふるった福本氏の娘です。一説には二人は恋仲にあったといわれていますが、祐清殺害事件が起こり、二人の仲は終わりを告げました。

現在、新見市内には祐清にまつわる史跡がいくつか残っています。今回はその祐清ゆかりの地をご紹介します。

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1 江原(ごうばら)八幡神社

寛正2(1461)年に百姓は代官の「安富智安(やすとみちあん)」を新見荘から追い出しました。追放の前に、百姓はこの江原八幡神社に集まり、誓いを立てて、結束を固めたと考えられています。もし、百姓が立ち上がらずに安富智安が代官を続けていたとしたら、祐清は東寺の御影堂経蔵で本来の職務である文書の出納を続けていたのかもしれません。その意味で、江原八幡神社は祐清が新見荘に赴任するきっかけとなった場所といえるでしょう。

2 福本屋敷跡

新見荘に赴任した祐清は福本氏の屋敷に身を寄せていたと考えられています。写真にはJR伯備線の線路が写っていますが、この線路の奥に福本屋敷がありました。福本盛吉は惣追捕使(そうついぶし)という役職で、祐清の片腕となり、年貢の取り立ての手助けをしました。

3 たまかき碑

たまかきと福本盛吉はきょうだいです(姉か妹、どちらなのかはよくわかっていません)。たまかきは祐清を慕い、彼の身の回りのお世話をしていました。たまかき碑は線路を挟んで福本屋敷跡の向かい側に建てられています。にご紹介しましたが、たまかき碑のそばには現地支配の拠点である「領家方政所(りょうけかたまんどころ)」がありました。東寺にとってこの一帯は支配の要となる場所だったのです。

4 谷内屋敷跡

祐清は表向きはお宮めぐりといいつつ、実際は新見荘内のあちこちに出向き、年貢の取り立てを行っていました。殺害された日もお宮めぐりに出かけ、谷内屋敷の前を通りかかったときに家主の谷内および横見から下馬とがめに遭い、帰らぬ人となりました。

5 国主(くにす)神社 および 6 国主神社跡

下馬とがめに遭った祐清は命からがら谷内屋敷の前から逃げ出しましたが、追手を振り切ることができず、お宮でつかまり、殺害されてしまいました。そのお宮の名前が古文書の中に出てこないため、祐清はどこで息を引き取ったのか、よくわかっていません。ただ「サ函110号」によれば領家方政所付近から約1里(約4km)のところにお宮はあり、加えて谷内屋敷からそう離れた場所でもないことから、この二つの条件を満たす「国主神社」が祐清の殺害現場だったのではないかと考えられています。現在、国主神社は地図5にありますが、当時は地図6にありました。

7 豊岡屋敷跡

非業の死を遂げた祐清ですが、実はこの殺害事件は裏で仕組まれていたのではないかともいわれています。というのも、祐清に恨みを抱いている人物がいたからです。百姓の豊岡は祐清の厳しい年貢の取り立てに逆らい、何度も未納を続けました。そこで祐清は東寺に事情を説明し、豊岡はお咎めを受けることになりました。豊岡の親類はこのことを根に持ち、祐清の殺害を谷内と横見に依頼したようです。その豊岡屋敷は新見美術館の付近にありました。現在、同美術館の敷地内にそのことを示す石碑が建てられています。

8 善成寺(ぜんじょうじ)公園

祐清の葬儀は新見荘内にある善成寺で執り行われました。現在、善成寺は残っておらず、跡地は新見公立大学・短期大学と善成寺公園になっています。公園の中には12世紀作の阿弥陀如来坐像を祀るお堂があります。この仏像は善成寺の本尊ではないかと考えられています。

9 祐清塚

祐清塚は谷内集落にあります。祐清を殺害した谷内はこの集落出身の百姓でした。長年、祐清はこの近辺で殺害されたと考えられていたので、祐清塚は彼の霊を祀るために作られた祠ではないかといわれてきました。また、祐清が追手から逃れようとしたという事実を踏まえて、この一帯は「祐清遭難の地」と呼ばれています。しかし、先にご紹介したように、祐清塚のある近辺で殺害されたという説は見直されつつあります。

10 JR新見駅前広場

現在、JR新見駅前広場には祐清とたまかきの像が建てられています。新見市在住・出身の方にはとても身近な歴史上の人物なのかもしれませんね。

※「国主神社」の読み方および所在地を訂正しました。(2017年9月13日)

(鍜治 利雄:資料課)