「ゑ函」の蓋と桐箱

再読!91歳上島有(うえじまたもつ)さんの東寺百合秘話 (6),「京都新聞」2016年4月23日付22面記事を転載

写真をご覧ください。これは東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)の「ゑ函」の蓋です。百合文書の箱とその蓋については、全て京都府立総合資料館(京都市左京区、現・京都府立京都学歴彩館)に移管されたはずです。しかし、この蓋だけが東寺宝物館(南区)の所蔵として現在、同宝物館の春季特別公開(注・平成28年5月25日終了)で展示されています。どうもおかしいと思う方が多いと考え、この点について述べてみます。

京都府立京都学・歴彩館で保管している「ゑ函」の桐箱。

ご存じのように、百合文書は1967(昭和42)年に全て東寺から京都府に移されました。その時の「ゑ函」は写真のような状態で、現在もそのままで変わりません。箱は松雲公(前田綱紀)寄進の立派な桐箱ですが、蓋だけ粗末な杉で異様に大きく、少し欠けており、本来の桐の蓋でないことははっきりしています。ついでに言いますと、資料館の百合文書は全て国宝に指定され、さらにユネスコ世界記憶遺産(世界の記憶)に登録されています。従って、「ゑ函」は写真のような状態で国宝に指定され、記憶遺産に登録されています。いささか貧相で不釣り合いな状態であることは否定できません。 

とにかく、不思議といえばこれほど不思議なことはありません。私は資料館在職中に、何とかしてこの謎を解いておきたいと努力しましたが、完全にお手上げ状態で、定年退職せざるをえませんでした。しかし、その後、東寺宝物館で寺宝の整理を手伝う機会に恵まれました。1997(平成9)年、百合文書は国宝に指定されました。それを記念して宝物館でも、同年秋に百合文書を展示することになり、準備を始めました。その史料探しに、観智院宝蔵に入った宝物館担当の僧が、「こんなものがあった」と言って持ってきたのが、蓋裏に寄進の来歴が記されている百合文書の蓋でした。言うまでもなく、私が長年探し求めていた「ゑ函」の本来の蓋ではありませんか。宝物館の全員が、手を叩いて大喜びしたことを鮮明に覚えています。 

それだけではありません。その秋の宝物館の展示には、資料館から「ゑ函」の本体を借り出し、箱と蓋を一体として本来の姿で展示しました。何しろ久方ぶりの再会です。「ゑ函」もうれしかったと思います。その時の展示品の目玉となりました。 

前回の話にもありましたが、百合文書は早くから宝蔵に保管されていました。しかし、何らかの必要のため、この「ゑ函」だけが観智院に貸し出され、そのまま観智院金剛蔵に忘れられた形で残されていました。偶然にも宝物館にはこれに関する記録類が残っていて、1939(昭和14)年に観智院から宝蔵に返されたことがはっきりしました。さらに、それは「ゑ函」には「蓋無之」と記載されています。すでに、現在のような状態だったことが分かります。それが、1997(平成9)年、百合文書の国宝指定の朗報にいたたまれず、蓋が観智院から踊り出してきたということだと思います。 

今回の宝物館の展示には、この蓋だけがいささか寂しげに置かれています。また一度、展覧会か何かで一緒になって「たまさかの逢瀬(おうせ)を楽しむ」機会が与えられないものかと願っているのが、私の心境です。

(上島有:京都府立総合資料館元古文書課長・摂南大学名誉教授)


松平定信書状(東寺所蔵)「白河本書写の喜び伝える」

現在公開中の東寺宝物館の春季特別公開(注・平成28年5月25日終了)で、東寺百合文書の関係として注目すべきものが2点展示されています。今回はそれを紹介することにしました。一つは本記で取り上げた百合文書「ゑ函」の蓋で、もう一つはこの「松平定信書状」です。これは東寺百合文書ではありませんが、関連としてごく最近、宝物館で近世文書を整理中に見つかったもので、私にも全く初めての新史料で驚いたという次第です。定信が「白河本東寺百合古文書」の書写を願い出て、許可された時の喜びを伝えたもので、史料としても非常に貴重です。

百合文書は、江戸時代から我が国の古文書の代表として有名でした。そのため、何度か書写が行われています。最も代表的で大規模なものが、松平定信の命で行なわれた「白河本」です。原本は、現在国立国会図書館(東京都)の所在となっています。全体として188冊におよぶ大事業で、1冊に平均80通書写されているとすると1万5千通になり、2万3千通の現在の百合文書の現在の百合文書の半分が書写されていることになります。おそらく江戸時代でも最大の書写事業であったのではないかと思われます。

これは大変な大事業でしたが、原本以外に全く関係資料がなく、書写の実態については一切不明でした。今回初めて1通ではありますが、定信の礼状が出てきて、宝物館関係者一同大いに勇気づけられました。年号がないのが残念ですが、整理担当の方もこれを機に一層頑張って「宝探し」をすると言ってくれています。今後を大いに期待したいと思います。

(聞き手・仲屋聡:京都新聞記者)