保安2(1122)年の伊勢湾台風

今年も多くの台風が日本に上陸しました。台風中継などを視ていると、改めて自然の猛威を実感します。各地で大きな被害が出ていますが、中世の人々も同様に台風の被害に頭を抱えていました。

め函1号「伊勢国大国荘田堵等解」保安3(1122)年1月28日

保安2(1121)年8月25日に、伊勢湾一帯を台風が襲いました。特に、伊賀国・伊勢国(ともに現在の三重県)は大きな被害を受けました。たとえば、伊勢神宮の外宮(げぐう)は床下浸水に遭い、東大寺領として有名な伊賀国黒田荘(現在の三重県名張市にあった荘園)も土砂災害に見舞われました。いずれも大雨による洪水が原因だといわれています。

伊勢国には東寺領の大国(おおぐに)荘(現在の三重県多気(たき)郡多気町北西部から松阪市南東部にあった荘園)がありました。冒頭の文書に「去年八月廿五日洪水損失」とあるように、同様に洪水の被害を受けました。大国荘は櫛田(くしだ)川の両岸に広がる荘園で、水害に遭いやすい立地条件にあったのです。その被害状況が文書で残っています。続けて見ていきましょう。

くよ函2号 伊勢国大国荘田畠注文
よ函2号「伊勢国大国荘田畠注文」保安2(1121)年月日

よ函2号によれば、田んぼは32町4段180歩のうち13町3段が、畑は24町160歩のうち10町3段半が洪水の被害を受けました。1町=10段=3,600歩で、1歩は1坪(約3.3㎡)と同じですから、13町3段は約158,004㎡、10町3段半は約122,958㎡に当たります。よく東京ドーム何個分というたとえが使われますが、東京ドームの面積は46,755㎡ですので、田んぼと畑を合わせると、東京ドーム約6個分の被害に遭ったことになります。当然収穫にも影響しますので、現地の人々はもちろん、東寺にとっても大きな痛手となりました。

カ函8号「伊勢国大国荘損亡田畠注進状」保安2(1121)年9月23日

さらにカ函8号には、具体的にどこの田んぼや畑が被害を受けたのか、また人や家屋・家畜の被害状況についてまとめられています。「流死女一人」「流失在家七家」「斃死牛馬十疋」とあるように、女性1名が亡くなり、7つの屋敷が流され、あわせて10頭の牛馬が死にました。

大国荘は水害の多い荘園でしたので、防災に対する心構えはしっかりできていたはずですが、それでもこれだけの被害が出ました。みなさんも災害への備えを十分にして、危険な場所には近づかないようにしてくださいね。

※伊勢神宮の外宮・伊賀国黒田荘・伊勢国大国荘の所在地はこちら(Googleマップ

(鍜治:歴史資料課)