安井宗運が見た戦国時代の滝山城

戦国時代の東寺は、三好長慶に裁判をおこす際、円滑に進めるため、安井宗運とコンサルタント契約を結んでいました。そのため、宗運は三好長慶の家臣で東寺の裁判を担当することが多かった松永久秀の下に何度も赴きました。

久秀は夫婦で主君の居城である芥川山城(大阪府高槻市)に詰めていることが多かったのですが、時には自分の滝山城(兵庫県神戸市中央区)に帰城することもありました。滝山城は新幹線新神戸駅の裏山にあたりますが、現在は山の上に一部の土塁や空堀、石垣しか残っておらず、当時の様子がわかりません。

しかし、宗運が弘治2(1556)年7月10日に滝山城(多喜山城)へ出張した際のレポートが東寺百合文書に残っているため、戦国時代の様子を知ることができるのです(ニ函298号)。それによると、滝山城には周辺に宿泊施設がないので山上の妙蔵寺に宿泊すること、銭よりも飯米を持ってくること、妙蔵寺以外では薪や水を買う場所がないことなど、細々とした注意を促しています。

ニ函298号 安井宗運書状
ニ函298号「安井宗運書状」7月10日

すなわち、滝山城は山下に城下町や居館を持たず、山上に寺院や家臣の屋敷を集めていたのです。

そして、宗運はとっておきの機密情報を掴みます。三好長慶の片腕であった松永久秀はとても忙しくアポイントメントを取るだけでも大変です。ところが、宿泊する妙蔵寺の坊主に仲介としてもらうと、久秀から早く返事が貰えるということを、東寺の宝厳院祐重に指南しているのです。

いい仕事をしていますね、宗運。

(天野忠幸:関西大学 非常勤講師/滋賀短期大学 非常勤講師)