写した文書も本物と同じ―「案文」のはたらき

案文(あんもん)と呼ばれる文書があります。名前からは下書きのように思われがちですが、そうではなくてオリジナルの文書(正文、しょうもん)を書き写した控え文書のことです。単に予備をつくって保存をはかるというだけではなく、さまざまな場面で利用するためのものでした。

案文の使い道はさまざまです。たとえば土地の権利書類では、正文をなくしてしまった場合、紛失状といわれる文書が新たに作られましたが、案文はそのための元文書になりました。

リ函35号 後家妙恵田地文書紛失状
リ函35号「後家妙恵田地文書紛失状」正和3(1314)年5月22日

これは紛失状の一例です。後家妙恵名義の土地の本券(これまでの売買や譲渡で作成されてきた文書)がなくなったので、その本券の代わりにするためにこの文書が作られました。借金をするときに土地を担保に差し入れ、貸主に文書を渡していたところ、貸主の側で文書が行方不明になり、返済を終えたのに文書がもどってこない、という事情のようです。

土地取引においても、案文は利用されています。

メ函230号-1 加賀快増田地百姓職売券
メ函230号-1「加賀快増田地百姓職売券」

上は永享4(1432)年に加賀快増という僧侶が四の坪という土地の権利を手放した際の売券(売却証明書)です。この文書には、下の文書が貼り継がれています。

メ函230号-2 林九郎三郎田地売券案
メ函230号-2「林九郎三郎田地売券案」

1通目(メ函230号-1)と同じ筆跡です。差し出し人2名の名前の下に「判」と書かれていますが、これは正文にはここに花押があるという意味で、この文書が写しであることを示しています。どちらも加賀快増によって同時に書かれたのでしょう。

中世の土地取引では、土地を譲る者は、新たに譲渡に関する文書を作成して先方に渡すだけではなく、自分が土地を手に入れたときにあわせて手に入れていた文書もまとめて先方へ渡していました。

しかし、土地の一部だけを譲るときには、文書をそのまま渡すことはできません。自分のものである土地の権利証書まで人に渡してしまうのは危険です。そこで加賀快増は、かつて自分が土地(四の坪を含む計2段=現在の約700坪)を手に入れたときの売券の案文を作り、その中で四の坪について書かれた「一段ハ四の坪なり」という部分のちょうど裏に自分の花押を据えました。こうして四の坪の権利だけを売り渡すことを表現したのです。

メ函230号-2 林九郎三郎田地売券案 (裏花押部分)
メ函230号「林九郎三郎田地売券案」(裏花押部分)

この作法のことを、裏を割るとか、裏を封じる、といいます。こうしてできたのが2通目(メ函230号-2)で、裏を封じた案文は正文と同じように扱われたことが分かります。ちなみに、この案文には最後に「如此うりけん候間、本文書ニハうらつけを仕候て、此案文ハうらを封候てまいらせ候、永享四年四月三日 加賀快増(花押)」と書かれていて、加賀快増の手元に残った正文の裏に売却の旨を記入したこと、案文の裏封を行ったことをきちんと書き記しています。