松茸食べたい!

「聖(ひじり)の好むもの、比良の山をこそ尋ぬなれ、弟子遣りて、松茸平茸滑薄(なめすすき)、さては池に宿る蓮の蔤(はい)、根芹(ねぜり)根蓴菜(ねぬなは)、牛蒡(ごんばう)河骨(かわほね)獨活(うど)蕨(わらび)土筆(つくつくし)…」(『梁塵秘抄』巻第二)

――僧の好むもの、弟子に比良の山まで採りにいかせるそうだよ、松茸、平茸、えのき(なめこ)、それから池に生えている蓮根、せり、じゅんさい、ごぼう、こうほね、うど、わらび、つくし…

平安時代の終わりごろ、「今様」と呼ばれる歌謡を集めた『梁塵秘抄』という歌謡集が編まれました。貴族や僧侶から庶民まで、幅広い風俗の詠みこまれた歌謡集です。上の歌は、その歌謡集のなかの歌のひとつですが…僧の好むものとして、まず第一にあげられているのは「松茸」!今から800年以上も前から、松茸は秋の味覚の王様として君臨していたようです。

それにしても、僧はそれほど松茸が好きだったのでしょうか?その証拠、実は東寺百合文書のなかにもたくさんあるのです。秋、9月(今の暦だと10月頃)に入ると、東寺へは毎年、松茸が年貢として送られてきました。次の文書は、大和国平野殿荘(やまとのくにひらのどののしょう、今の奈良県生駒市あたり)からの松茸に添えられた手紙です。

ヨ函10号‐3 大和国平野殿荘預所定宴松茸送進状
ヨ函10号‐3「大和国平野殿荘預所定宴松茸送進状」正元元(1259)年9月27日

例年どおり松茸90本を送るので、弘法大師の御前にお供えしたあと、分配してください、というものです。弘法大師にまずはお供え、というところから、松茸がとても大切にされていたことがわかります。

また下の文書は、荘園からの年貢の配分などの担当役である公文(くもん)が書いたものですが、このなかにも年貢の松茸について述べた箇所があります。

ネ函6号 東寺現住供僧納所公文栄胤申状案
ネ函6号「東寺現住供僧納所公文栄胤申状案」弘安6(1283)年12月日

ここでは、この平野殿荘からの松茸を「一山之景物」として、それをお供えすることなく自分のものにしてしまうのは、ことのほか重罪にあたる、とまで書かれています。「景物」とは、四季折々の興趣ある珍しい風物のこと。旬の香り高い松茸は、ただの食べ物とはまた別格の扱いだったのでしょうか。

江戸時代の初期に書かれた『毛吹草(けふきぐさ)』という本には、諸国の名物が並べられています。そして「大和」(今の奈良県)の項には、「松茸」があがっています(『毛吹草』巻第四)。その大和にある平野殿荘から納められた松茸、とても珍重されたのでしょう。

しかし、松茸が好きなのは僧だけではなかったようです。東寺では、年貢としてやってくる松茸だけでは足りず、大枚をはたいて買い求め、宴席で供したり、親交の深い寺院や将軍、幕府の要職へ贈っていました。誰にどれほど贈るのか、しばしば会議の議題にまでとりあげられています(ち函12号「廿一口方評定引付」永享10(1438)年9月18日条など)。

次の文書からは、どのような箱に入れて贈られていたのかがわかります。

チ函150号 進上松茸折注文
チ函150号「進上松茸折注文」永正5(1508)年

松茸の贈り先と、それぞれの箱の数、大きさなどがあげられています。たとえば2行目には、「進上 三合」、その下に「一尺四寸 台在之」と書かれています。ここでの「進上」とは、10代将軍足利義尹(あしかがよしただ)へ贈ったことをさします。「合(ごう)」とは「東寺百合文書」の「合」と同じ、箱の単位で、1合=1箱です。およそ42cm四方、台つきの箱3箱に入れて、贈られたことがわかります。他にもあちこちへ1箱ずつ、計8箱贈っていますが、箱の大きさも少し小さかったり、台もついていなかったり…やはり将軍への贈り物は、特別だったようです。

今では1本1万円からする、国産の松茸。8箱となるとたいへんな額になりそうですが、当時はいったいどれほどの値段だったのでしょうか?次の文書をごらんください。

オ函143号‐1 松茸進上并心味入足注文
オ函143号‐1「松茸進上并心味入足注文」永享10(1438)年9月11日

最初の部分、「松茸上進事」とあり、「数五百五十本 代四貫七百文」とあります。松茸550本!すごい量ですが、これによると、1本がおよそ8.5文です。文書の左上には、「米二斗九升五合 代三百十七文」とあり、このときのお米の値段は、1kgおよそ7.3文ほどだったことがわかります。お米1kgよりも少し高いほど。今の国産松茸にくらべると、かなり割安になるのかもしれません。当時、京都のまわりには松山も多く、今よりもずっと多くの松茸が採れていたようです。

また、この文書の名前にある「心味」(こころみ)には、味見や試食といった意味があるようです。ここでは、秋の味覚松茸をみんなで味わってみよう、という食事会だったのでしょうか。文書の下半分には、この食事でふるまわれたものや使われたものが並べられています。古酒、新酒に、お米、大根、生姜、香の物、昆布、味噌、塩、酢など…。やはり主役は松茸ですが、この文書からはどんなふうに調理されて供されたのかわからないのが残念です。

この年は松茸が豊作だったのでしょうか、「客人」から「下女」まで、みんなにふるまわれたようです。旬の松茸、貴賤を問わず、毎年みんなから楽しみにされていたのでしょうね!

(松田:歴史資料課)