仕事のあとに、ちょっと一服

暑い夏の一日、力仕事の後には、ゆっくり一服したいものです。お酒を好む上戸と、好まない下戸。お茶がよいか、お酒がよいか…。その論争は、今から1000年以上前、唐の時代の中国で、すでに話の種になっていました。お茶もお酒も、そのころのものは、今のものとは少し違ったようです。しかし、その味もさることながら、薬効も高く、心身ともによく効くものとして、どちらも人びとに好まれてきました。

お茶とお酒が、互いにそのよさを言い争う…、その論争は「酒茶論」や「茶酒論」と呼ばれ、中国から日本へも伝えられます。そして室町時代のころから、ちょっとした読みものなどの形をとって、ユーモアを交えて語られてきました。こういった話題が文学のなかにとりあげられるようになったのは、お茶とお酒がともに、広くたしなまれる身近なものとなっていたからに他ならないでしょう。

その様子、実は東寺百合文書からもよくわかるのです。東寺は大きなお寺です。掃除や草刈り、お堂の造営や修繕…。ことあるごとに、大勢の人夫や大工が、あちこちから集められました。そしてその際、彼らにはお茶やお酒、食事などが、ふるまわれています。その内容や、かかった費用が記された明細書は、「○○注文」、「○○下行切符」などと呼ばれていました。

東寺百合文書モ函のなかには、寛正3(1462)年8月22日、室町幕府8代将軍足利義政が東寺にやってきた(東寺御成、とうじおなり)ときの文書がたくさん残っています。盛大な御成の舞台裏、掃除や草刈りなど、準備に奔走した人びとには、いったいどんなものがふるまわれたのでしょうか?

モ函105号‐25 御成方掃除草苅茶料足下行切符
モ函105号-25「御成方掃除草苅茶料足事」など

上の画像のなかには、6通の文書が見えますが、どの文書にも朱の線がひとつつけられています。はじめの4通は、8月8日から11日まで、作業に従事した人びとにふるまわれたものの明細です。

たとえば8月8日には、人夫18人へのふるまいにかかったものとして、酒170文、もちい90文、三度入2文があげられています。「もちい」は、今のお餅と同じ、もち米をつき、丸めたり、のしたりしたものです。お酒と、ちょっとした軽食として、出されたのでしょう。「三度入」とは杯のこと。毎回この三度入、つまりお酒を入れる器にも、少しずつ費用がかかっています。土器とはいえ、毎回いくつか割れてしまって、買い足していたのでしょうか。今の紙コップのように、なかば使い捨てとして考えられていたのかもしれません。

5通目は、「御成方掃除草苅茶料足事」です。8月11日の掃除や草刈りでは、人夫15人に各5文、計75文のお茶代がかかったことがわかります。

御成当日、8月22日は、今の暦でいうと9月下旬です。しかし、その準備がおこなわれたのは、その1ヶ月以上前から。まだまだ暑さ厳しい時期でした。準備期間であった7月8日から8月21日の間のお茶代を、ずらりと並べた文書もあります。

モ函104号 御成方茶入足注文
モ函104号「御成方茶入足注文」寛正3(1462)年8月23日

毎日かかさず、5~35文のお茶代がかかっています。今のように冷蔵庫はありません。夏に冷えたお茶、というわけにはなかなかいきませんが、ひと休みの際の一服に、お茶は欠かせないものだったのでしょう。 

また、食事もしばしばふるまわれています。当時は、朝食と夕食、1日2食が一般的でした。その間、今の昼食にあたる食事は、硯水・間水(けんずい)、中食(ちゅうじき)などと呼ばれていました。力仕事の際には、食事もしっかり必要だったのですね。いくつか例をみてみましょう。

モ函105号‐41 八月二日坊中々居方職掌等中食入足注文
モ函105号‐41「八月二日坊中々居方職掌等中食入足注文」

ここでは、40人分の中食に、以下のようなものが用意されています。

みそ(味噌)・しほ(塩)・なすひ(茄子)・さゝけ(ささげ)・しろうり(白瓜)・かうの物(香の物)・さんしよ(山椒)・柴・はし(箸)・さけ(酒)・米の11品目、計1貫156文かかったようです。

モ函105号‐47 七月二十八日鳥羽寛阿并人夫以下酒直等入足注文
モ函105号‐47「七月二十八日鳥羽寛阿并人夫以下酒直等入足注文」

こちらは、14人分です。

米・みそ(味噌)・しほ(塩)・なすひ(茄子)・さゝけ(ささげ)・六てう(六条豆腐)・大こん(大根)・す(酢)・はし(箸)・うり(瓜)・酒・わら(藁)の12品、計411文かかっています。

同じリストのなかに、食材以外の箸や、藁、柴など調理に必要な燃料まで、同じように並べられています。少し変な感じがするかもしれませんが、今のように、スイッチひとつでガスや電気が使えるわけではありません。火をおこすことからはじまる、バーベキューの買い出しリストのようなものだと思うといいのかもしれません。

なすび、ささげ、瓜、豆腐など、調理法までは記されていませんが、夏らしいお膳になっていますね。香の物や山椒など、薬味まで添えられているのは、うれしいものだったのではないでしょうか。

★当時のお金の価値を今に置き換えるのは難しいのですが、この御成の年の1462年、米1kgの価格がおよそ4.8文ほどだったようです。

(松田:歴史資料課)